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ピザは十勝のどんぶりだ!

「パピリカ」でお出ししているピザは、生地に使う小麦粉は十勝産100%。そして載せる具材も、十勝の恵みである豊かな農産物と広大な牧場で育成されたストレスフリーの畜肉です。すべての素材が十勝でまかなえるため、ピザは十勝の「どんぶり」であり、十勝人のソウルフードといえるでしょう。

「気がつけばピザ屋?!」その①

about

ひょんないきさつから、北海道でピザ屋を開業。この4月でオープンして1年半が経ちました。思えばあっという間の日々でしたが、今でも「どうしてピザ屋を始めたんですか?」 と聞かれることが多いので、これまでのことを振り返り、そのいきさつをまとめてみることにしました。

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早期退職して震災ボランティアで「社会貢献」

 

   学生時代から憧れだったマスコミの仕事がしたいと雑誌作りにかかわり、この道一筋で30年の出版社人生でした。バブル期には折からの海外旅行ブームに合わせて、ホテルや飛行機、クレジットカードなど、海外旅行に不可欠なアイテムやシステムの裏側を取材し、最適な旅行法を提案するといった取材にのめりこんでいました。しかし、その後、インターネットの隆盛とともに紙メディアの衰退が始まり、先細りの見えた出版の世界から身を引き、出版社を早期退職したのは2010年のこと。

 

   会社から紹介された再就職支援会社に不信感を抱き、再就職する気が失せてしばし全国各地を放浪する中で、翌年あの東日本大震災が起きたのです。数か月後に石巻、南三陸などでボランティア活動に参加しましたが、あの惨状を目にして、再就職より社会貢献を、と強く思うようになったのは自然な成り行きでした。

 

   その後、雑誌時代からかかわっていた環境問題と町おこしに取り組もうと、環境省が行っている「エコツーリズムガイド研修」に参加。しかし、研修先に選んだ北海道の環境NPOでは、支援先である苫小牧の自然学校に派遣されたものの、子供相手の仕事にあまり興味がわかず、このNPOの伝手で、釜石・鵜住居(うのすまい)で再び震災ボランティアに従事することになります。

 

   新日鉄釜石のおひざ元でもある鵜住居は住民の半数近くが被災した地区で、まだまだ震災の傷跡が生々しく残っていました。NPOの事務所代わりの仮設住宅で支援スタッフと起居を共にしながら、津波で汚れた地元旅館の風呂掃除や復興商店街の販促支援、仮設店舗でのカフェの立ち上げ、また漁師さんのお手伝いでカキの養殖用ロープ作りやワカメの収穫など、復興を手助けしたいとの思いから、さまざまな仕事に取り組みました。

 

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   中でも記憶に残っているのは、ちょうど同い年でもあった旅館「宝来館」の女将さんです。宿泊客の避難誘導の最中に津波にさらわれながら、命からがら助かった女将は、その後、この町で生活するなら海とともに生きていくしかないと、津波の恐怖を乗り越えるために、ボランティア仲間の誘いでパラオまで行き、初めてのダイビングに挑んだそうです。海に漬かることさえ怖かった彼女が、何度も青い海の底へ潜って行くうちに、ようやく「海」と再び向き合えるようになった、と嬉しそうに語ったその姿に勇気をもらいました。

 

    たまたまこの研修期間中にご一緒した大学の先生に、いずれ北海道へ移住するつもりだと話しをすると、「それなら地域おこし協力隊などの制度を利用した方がスムーズだよ」と言われ、初めてそんな制度があることを知りました。研修を終えて帰宅してからは、もう気持ちは北海道移住に固まり、協力隊を募集している地域を探し始めました。そもそも北海道を選んだのは、かみさんが道東・根室の出身であり、結婚したころから道東の自然に強い憧れを抱いていたから。ちょうど道東地区でいくつか募集している自治体があり、そのひとつが現在住んでいる上士幌町だったのです。